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過去の歴史を振り返ると、民国三十八(1949)年、中国は共産党政権に支配され、多くの人々がビルマ、雲南、タイ、ラオスの境に逃げ、雲南人民反共救国軍に参加しています。民国四十九(1960)年十月、ビルマで共産党軍と戦い、双方の死傷程度がひどかった。民国五十(1961)年に中国から撤退、ゲラリ七十七人は家族と共に計二百五十三人名、三月二十四日にて台湾屏東に移り、翌日成功嶺へ、その後、百日間経て、南投の清境農場(原名は見晴)に来ました。水も電気もない原始森林からスタート。ビルマ、雲南、タイ、ラオスからやってきたこれらのゲリラ及び少数民族の家族達は、ここで一生懸命頑張って苦労しながら地道に努力してきます。四十年間も経ちましたが、この素晴らしい清境農場が築かれました!
当時のゲリラ及びその家族(通称は義民)は計253名、年配者に尊重の意を払うため、その中の若い二人世帯の33世帯は、標高2,044mで気温の低い松崗「博望新村」に置かれました。松崗文史資料館(活動センター)には、昔の写真がたくさん陳列されています。時間が流れていきましたが、博望新村は相変わらず、当時の村作りの素朴さが残されています。
清境のことに触れると、人々は退輔会に管轄される「清境農場」を言いますが、「清境農場」は実に、コミュニティの一部に過ぎない。「大清境コミュニティ」は、博望新村、仁愛新村、忠孝新村、道班新村、栄光新村、定遠新村、寿亭新村の七つ主要村があり、そして、清境農場、台大梅峰農場等も含まれています。今日でいう「大清境」は大よそ、霧社五里坡以上から梅峰までの区域、主に南投県仁愛大同村のことを指します。 |
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